応援されるブランド【第12弾】ブリッジホテルグループ
『誠実な商売を通して、心に残る想い出づくり』という経営理念のもと、4つのホテルを展開するブリッジホテルグループ。
その歴史は1970年、アジア初・日本初となる「万国博覧会」の熱気に沸き、大阪に世界中から観光客が集まった年に開業した道頓堀ホテルから始まります。
永くの間、駅近のホテルとして全国のビジネスマンから親しまれてきましたが、2000年代初頭に大手ビジネスホテルチェーンが進出し、生きるか死ぬかの価格競争に巻き込まれます。
そんな中、インバウンドへの舵取りにより成功し、業績をV字回復。その後、社風の改善と人材育成に取り組まれ、現在ではミッション経営を実践する強い企業に生まれ変わりました。
2020年からのコロナ禍においても、アルバイトを含む一人の従業員も解雇することなく乗り切り、過去最高の業績になったことがその証左ともいえます。
日本と世界の架け橋になることを使命とし、世界のお客様の「あったらいいな」を実現するブリッジホテルグループ。
今回は、道頓堀ホテルの創業からインバウンド戦略への転換、社風改善の歩みや今後のビジョンについて宿泊部門を率いる橋本明元専務に伺いました。
<インタビュー記事・コンテンツ>
1. 家業を継ぐ決意とルーツ
2. 上海修業から再入社への道
3.インバウンド戦略への大転換
4. 磨き上げた理念と使命
5. 権限委譲が失敗する理由
6. 人材育成は個々の居場所を見つけること
7. 採用者家庭訪問を始めたきっかけ
8. ミッションで集う志ある人材
9. 応援されるには、誠実さと…
1. 家業を継ぐ決意とルーツ
AID:お爺様が1970年に創業された道頓堀ホテルを、お父様がその6年後に引き継がれたそうですね。
橋本専務:はい。ただ、祖父はその前からホテル以外にも温泉とかいろんな事業をしていました。
AID:お爺様とお父様、二人の経営者の違いを教えていただいてもよろしいでしょうか?
橋本専務:祖父は私が生まれてすぐに亡くなっているので周りから聞いた情報ですが、土地を買うなど、色んな事業をして会社を大きくしていったり、人と違うことをする経営者だったと聞いています。
一方、父は事業を拡大するというより守り抜くというか、選択と集中で絞り込んで本業に徹していました。逆に二人の共通点は、誠実に仕事をするところでしょうか。
AID:選択と集中ということは、お父様が跡を継がれた時、他の事業を整理していかれたのでしょうか?
橋本専務:はい。実は最初の頃、この道頓堀ホテルは大赤字だったそうなんです。
それで立て直すために、持ってる土地を売ったりして、すごく大変だったと父から聞いています。
AID:それはお父様が跡を継がれた1976年当時のことでしょうか?
橋本専務:はい。ホテルを創業した1970年は大阪万博が開催される年だったので、すごく流行ると思っていたらしいんですね。
なので、チャペルを作っていたり、エレベーターガールがいたりだとか、色んなことをしていたみたいですが、思ったほど流行らず、失敗したそうです。
AID:1991年に大改装し、玄関のモニュメントを作られた時には経営が安定していたのでしょうか?
橋本専務:はい。安定してからの大改装です。
AID:橋本専務は大学を卒業後、違う会社に就職されたと伺っています。
橋本専務:はい。元々、会社を継ぐ気が全くなかったんです。社長の息子が能力もないのに、会社に入って経営をすることに抵抗があったので…。なので、大学を卒業した後は一部上場企業にいこうと思っていました。
実際に何社か受けて大手企業から内定をもらったのですが、それが取り消しになったんですよ。その会社に抗議をすれば何とかなったらしいのですが、揉めるのも嫌だったので、就職活動を再開しました。
当時、特にしたいことは何もなかったですけど、その会社が発展することで社会が良くなるような企業はないかなと探しているとき、たまたま学校の中で『人のために尽くす事のできる人、募集』という文面を見かけて、この会社面白そうだなあと思って受けたのが川村義肢株式会社でした。
初めて受けた中小企業でしたが、そのフレーズにビビッときたんです。
AID:『人のために尽くす事のできる人』というフレーズは利他の心を持っていないと響かないと思うのですが、何か原体験などはあったのでしょうか?
橋本専務:父親がすごい熱心なクリスチャンだったので、私もずっと教会に行ってたんですよ。大学生の頃も行ってました。今は行けていないから、ちょっと気まずいですが…(苦笑)。
でも、そういうことが原体験としてあるかもしれないですね。人のためにとか、利他に関われることは教会でたくさん学びました。
AID:社会人になって2年目に叔父様から誘われて、お爺様の故郷である中国の揚州を訪れたそうですが、なぜ行ってみようと思われたのですか?
橋本専務:私の父は中国人で、母が日本人なんですね。
当時は中国の血が入っていることに劣等感を抱いていて、ずっと隠して生きてきたんですけど、自分のルーツには興味があったんです。
それで叔父がそういうツアーをすると聞いて、素直に面白そうだなと思い参加しました。
AID:実際に行かれていかがでしたか?
橋本専務:はい。まず、自分に中国の血が入ってることを誇りに思うようになりました。
祖父が生まれた揚州はすごく貧しいところだったんです。それこそ窓も無くてトイレも無い、床が土というような家で祖父は生まれて、その辺に生えている草を食べて飢えをしのいでいたと聞きました。
実際にそういう場所を目の当たりにして、祖父の生い立ちを聞いた時、祖父がこんなに苦労して作った会社を潰したらあかんなと思いました。
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