応援されるブランド【第9弾】藏光農園
和歌山県日高川町で低農薬みかんや南高梅、ハッサクや甘夏の生産から通販までおこなっている藏光農園。
町の人口は約9,600人、同園のある松瀬地区に至っては150人足らずの小さな集落にも関わらず、全国の名だたるミシュラン星付きシェフから選ばれ続けている果樹農園です。
旬を大切に考えた“適期収穫”と市場原理に左右されない果物本来の味を届ける“最速発送”をブランドの強みとし、「知っていることが自慢になる農園」を目指す藏光農園の園主・藏光俊輔さん。
また、同園は4つの経営方針を軸にし、経営理念を中心に意思決定をおこなっている理念先行型農園でもあります。
自分たちことだけで精一杯という農家が多いなか、様々な地域づくり活動を農業と同じくらいの力を注いで両立させている藏光農園は、どのようなブランド戦略を描き、どのようにして成長してきたのか。
藏光さんの生い立ちから就農まで歩み、そしてこれからのビジョンについて伺いました。
<藏光農園インタビュー記事・コンテンツ>
1. 農業にポジティブな印象を受けた少年時代
2. 利他の精神が生まれた学生時代
3. 退路を断って臨んだ就農
4. 攻めと守りのブランド戦略
5. 農家との会話から生まれる新しい一皿
6. 地域をより良くする“守り”のブランド戦略
7. 経営理念がないとジャッジできない
8. 知っていることが自慢になる農園を目指して
9. 大切なのはお客様に忘れられないこと
10. 地域づくりと農業の未来を考える
1. 農業にポジティブな印象を受けた少年時代
AID:ご実家は、お父様が親戚の藏光家の養子に入られて、農家を継がれたとのことですが、藏光さんが生まれた時にはもう農家をされていたのでしょうか?
藏光氏:そうですね。生まれた直後ではないかもしれませんが、物心が付いた頃にはもう農業をやっていましたね。細かくいうと、曾祖父の代で分家し、祖父は傷痍軍人で祖母が細々と農業を継続していました。養子である父がそれを受け継いだというカタチです。
AID:当時はどんなものを栽培されていたのですか?
藏光氏:最初はミカンです。そこからハウス施設の花卉がメインになり、サブでミカンという農家になっていきます。
AID:子どもの頃は農家に対して、どのような印象を持たれていたのですか?
藏光氏:ものすごくポジティブな印象ですね。というのも、夏休みに毎日父親が日高川へ泳ぎに連れていってくれたので。
AID:えっ、毎日ですか?
藏光氏:ええ。ここから200mくらいの所に川があるんですが、そこへ毎日行って泳いだりしていました。父親はウナギや手長エビを捕ったり、僕もそのマネをして遊んだりと。割とこの地区には同級生が多いのですが、毎日川に連れていってくれるのは僕の父親だけでしたね(笑)。
AID:その時の原体験が今に繋がっているのですね。
藏光氏:それはもう、めちゃくちゃあります。だって、毎日子どもに付き合って川に泳ぎに行ける職業ってよくないですか?当時は「農業って本当にいい職業だなあ」と、すごくポジティブな印象を刷り込まれました。
AID:でも、農家の方って朝が早くないですか?
藏光氏:そうなんですよ。父親は朝早く起きて、4時から仕事を始めていたみたいです。僕が小学校の頃は、ビニールハウスで花卉の栽培も始めていたので、そこから昼までハウスで作業をしていました。ただ、午後からはハウスも外も暑くて仕事にならないので、僕を川へ遊びに連れていき、また夕方から仕事をしていたみたいです。子どもだったので、そこまで見えていなかったんですね。大人になってからわかりました「ああ、めちゃ仕事やってたんや〜」って(笑)。
AID:そこから大学へ進学されたそうですが、いずれは農家を継ぐつもりだったのですか?
藏光氏:そうです。僕はずっと農家になりたかったんですけど、実は両親から反対されていて…。
AID:なぜ、ご両親が反対されていたのですか?
藏光氏:多分、仕事量が多い割にはリターンが少ないというのを実感していたからだと思います。母親は公務員だったので、会社員をすると安定した収入がこれ位あるというのが分かっていて、一方で父親の年収は上下はありつつ徐々に下がっているという感じでした。そういう状況もあって反対していたのだと思います。
そもそも、父親も自分の代で農業を終わらせる気でした。だから、両親としては「こんな田舎で農家を継ぐなんて言ってないで、しっかりと勉強しなさい」という感じでしたので、「農業をしたい」という僕の中で折り合いがついたのが京都大学の農学部でした。名のある大学へ行けば、両親も悪い顔はしないだろうというところで、微妙に折り合ったという感じです。
AID:大学に入ってからも農業への想いは変わらなかったのですか?
藏光氏:農業もですが、そもそも自然の環境が好きだったので、教授になって熱帯雨林の研究をしたいと思っていました。ただ、実際に研究室に入ってみると、教授は好きな研究だけをしてればいいという訳ではないということが分かり、元々考えていた農業への想いが戻ってきたという感じです。大学の2回生の時にはもう決めていました。
あと、もう一つ後押しになった出来事があります。
大学では京都に住んでいたのですが、どこからともなくミカンが回ってきて、それをいただいたのですが、余りに衝撃的な不味さで…。地元では基本的に自分の家のミカンしか食べないじゃないですか。「都会の人ってこんなミカンを食べているんや」と衝撃を受けたと同時に「これはチャンスやな」とも思いました。
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