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応援されるブランド【第1弾】尾﨑産業株式会社①

応援されるブランド

【前編】全国から支持される雨合羽ブランドの誕生秘話

 

尾﨑産業の歴史は1908年(明治41年)、初代・尾﨑義雄氏が和歌山県海南市野上中において尾﨑義雄商店を創立した年まで遡ります。

 

その後、二代目となる尾﨑卓也氏が1949年(昭和24年)に株式会社として法人に改組。

 

現会長の尾﨑卓司氏が三代目としてバトンを引き継ぎ、四代目社長の尾﨑昌司氏へと続きます。

 

 

事業内容はプロ用雨合羽やブラシ材の製造販売、日用雑貨の加工販売、タワシ・ほうき等の輸入業です。

 

プロ用雨合羽に関しては、自社ブランド・自社縫製・自社販売を貫き、徹底した品質管理で純国産の製品を供給。その品質の高さは一次産業や二次産業、水族館や動物園などに従事されている全国の様々なプロフェッショナルから絶大な支持を得ています。

 

 

創業から115年、全国から支持される雨合羽ブランドはどのようにして誕生したのか。現会長の尾﨑卓司氏から雨合羽ブランドの誕生秘話を伺いました。

 

 

 

1. 人生のどん底を味わった時期


 

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尾﨑産業というと堅実なイメージが強いのですが、これは創業当時からでしょうか?

 

【尾﨑会長】いえ。祖父(初代)が旧・中野上村の村長だったこともあり、私の父(二代目)は見事な旦那気質の人でした。

 

主な仕事はロータリークラブや商工会議所などで派手に立ち振る舞うこと。実質的な仕事は私がおこなっていました。

 

また父は新しいことが好きなので、世間で紅茶が流行するとスリランカから輸入したり、とにかく流行りを見ては次々と新しい事業に着手するので、それらの対応をするのが正直大変でしたね。

 

私はそもそも「商売は基本的にプロでないと勝てない」という持論があるので、父とは経営方針を巡ってよく議論していました。

 

 

 

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なるほど。ちなみにプロ用の雨合羽はその頃から作られていたのでしょうか?

 

【尾﨑会長】当時はまだ大手メーカーの雨合羽をOEMで生産していただけですね。

それも注文を請けたら、下請けに製造してもらうというやり方です。現在の自社製造にこだわっているスタイルとはまったく違いますね。

 

 

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なぜOEMをやめられたのですか?

 

【尾﨑会長】当時、雨合羽のOEMは事業の柱の一つだったのですが、その生産量は年々下降の一途をたどっていました。

そんな時、父(二代目)から事業の引き継ぎを命じられたのです。私がまだ37、8歳の頃でした。

 

 

 

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そのタイミングでOEMから自社製造に切り替えられたのでしょうか?

 

【尾﨑会長】タイミング的にはその頃ですが、切り替えたというより、切り替えざるをえなかったという方が正しい表現かもしれません。

 

実はその時期、大口の取引先がなくなり、経営状態もどんどん悪化し、笑うことすらできない状況でした。

円形脱毛症になるほど、人生のどん底を味わいましたね。

 

 

 

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その危機をどのようにして乗り越えられたのでしょうか?

 

【尾﨑会長】まずは自社の事業を全て振り返りました。

 

すると、

「貿易をしていると言いながら、商品は商社から買い付けている」

「雨合羽を作っていると言いながら、商品は下請会社が作っている」

「OEMなので、当然ながら自社ブランドもない」という状態が明らかになりました。

 

結果、「今の尾﨑産業には何の強みもない」ということを再認識することができたんです。

 

今更ながら、とんでもない会社の舵取りをすることになったなと思いながらも、担当者に任せていた事業を一つひとつ見直していったんです。

 

 

まず、貿易事業については、担当者から輸出入のノウハウをA4用紙2枚にまとめてもらい、それを分析しながら商品の直輸入をはじめました。

 

これにより尾崎産業は名実ともに本当の輸入業者になることができ、L/C(信用状)まで発行できるようになったんです。

 

 

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次に雨合羽の開発に着手されたのですか?

 

【尾﨑会長】いえ。まずはOEMのまま取引先の受注を増やせないか試行錯誤しました。

 

大きな問屋さんとの取引がすべて無くなったので、その先にある全国の小さな問屋さんを一軒ずつ回ることにしたんです。

 

当時でいう夜汽車に乗り込み、大阪を始発で出発。翌朝8時に青森に着き、合羽のサンプルを持って現地を駆けずり回っていました。

 

しかし、得意先から返ってくる答えは「あんたとの取引はやめようと思っている」というような辛辣なものばかりでした。

 

 

 

2. 起死回生、OEMからの脱却


 

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なぜOEMの合羽は売れなかったのですか?

 

【尾﨑会長】理由はシンプルです。その時、OEMで作っていた合羽が時代遅れだったから。

 

それは私も十分理解していたので、何度もメーカー側に改良点を提案していたのですが、「全国に代理店があるから勝手に変えられない」という一辺倒だったんです。

 

足が痒いのに靴の上からしか掻けないような状況が続いたため、決断をしました。

 

よし、それなら自分が着たい合羽を作ろう!と。

 

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OEMからの脱却ですね。

 

【尾﨑会長】はい。そしてまず、OEMと同じ陸上用雨合羽の開発に入りました。

 

当時、OEMで作っていた雨合羽はスーツのような襟足だったため首から水が入ってくるのです。そうならないため、立襟のデザインに変更し、さらに襟裏をボア生地にして着心地を向上させました。

 

その他にも水を防ぐ二重袖や着脱可能なフード、ホック付きの前ポケットなど、これまでのアイデアをすべて盛り込み機能性を高めたのです。

 

 

さらに、売り場で勝負になるのは商品パッケージのフェイス面だと考え、合羽の胸部分に自社ブランドのワッペン(ロゴマーク)を縫い付けました

 

これはブランディングというより、お客様がリピートする際に商品を思い出してもらいやすいように考えました。

 

驚かれるかもしれませんが、当時の合羽にはロゴなどは一切明記されておらず、購入してもお客様自身がどこ合羽を着ているのか分かっていない人が多かったのです。

 

 

 

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今まで考えてきたアイデアをすべてカタチにされたのですね。

 

【尾﨑会長】ええ。何度もサンプルを作るので、裁断するスタッフからかなり嫌われましたが…(笑)

この時、開発された商品が今でも人気商品の陸上用雨合羽「レリーロイヤルです。

 

 

 

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開発された「レリーロイヤル」を見たお客様の反応はいかがでしたか?

 

【尾﨑会長】問屋さんに営業にいくとその機能性と斬新なデザインに皆さんすごく驚いていましたね。

 

 

 

 

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確かに。「レリーロイヤル」は色のバリエーションも豊富ですしね。

 

【尾﨑会長】はい。実は「レリーロイヤル」の多色化は輸入品に打ち勝つためのものでした。

輸入の場合、ロット単位での注文のため、人気の色が売り切れるとどうしても数ヶ月のリードタイムが必要になります。

 

それに対し弊社は国内で生産をしているので、特定の色が無くなってもすぐに対応ができます。

 

これこそが輸入品に勝てる強みになると思い、早い段階から多色化に取り組みました。

 

実際に「レリーロイヤル」が売れ始めると、類似商品がどんどん輸入されてきましたが、やはり多色化には対応できず離脱していったのです。

 

 

 

3. ブローカーと揶揄されてからの発起


 

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ちなみに開発の初期から自社製造をされていたのでしょうか?

 

 

【尾﨑会長】いえ。開発当時は合羽の生地を裁断する技術者は社内にいたものの、縫製は下請会社にお願いしていました。

 

ですので、「レリーロイヤル」が売れ始めると周りから「尾﨑産業はただのブローカーだ」と揶揄されるようになりました。

 

 

 

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そこから完全な自社製造に取り組まれたのでしょうか?

 

 

【尾﨑会長】自社で企画やデザインをして、生地まで裁断しているのにブローカー扱いされるのが悔しかったので、すべて自社製造すると決めました。

 

ところが面白いことに、そう決めたら運が味方をしてくれたんです。

 

完全な自社製造するためには縫製の技術者が必要になります。

すると、たまたま近くで合羽の縫製をしている会社が廃業することになり、そこの技術者がうちで雇ってもらえないか、と来られたのです。

 

 

そこから自社縫製で「レリーロイヤル」を作ると同時に、水産用合羽「マリンレリー」の開発に入ります。

 

水産用の合羽に関しては自社にノウハウが無かったので、まずは他社製品を取り寄せて分析し、改善点を探りました。

 

たとえば小用時にズボンが落ちない構造であったり、手袋を付けていても使いやすいバックルなど、実際の水産現場での声を丁寧に拾い上げて、それらをカタチにしました。

 

 

 

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パッケージも横から見やすい構造ですね。

 

 

【尾﨑会長】商品は問屋さんに卸していましたが、エンドユーザーさんが購入する小売店にも頻繁に足を運びました。

 

店内では商品が棚に平積みされており、横から見ると何の商品なのか全く分からなかったんです。

 

 

これだとお客様が選びにくいだろうなあと思い、横から見て商品名とサイズが分かるようなパッケージにしました。

こうすることで、小売店の方も棚卸しが楽になるだろうなあと。

 

また、全国を営業で駆け回り、身に染みて分かったのが「営業力ではなく、商品力の大切さ」です。

 

実際、OEMの合羽では見向きもしなかった問屋さんへ再度「レリーロイヤル」を持って行くと、「どの色にしようかな」とすぐに売れました。

 

どんなに営業力があっても、商品自体に魅力がないと売れないというのを痛感した瞬間です。

 

 

 

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自社ブランドの開発が尾﨑産業のターニングポイントだったのでしょうか?

 

 

【尾﨑会長】そうですね。

 

苦労しても中々売れなかったOEMの合羽とは違い、自社ブランド、自社縫製、自社販売している「レリーロイヤル」や「マリンレリー」は評判が評判を呼び、瞬く間にヒット商品となり、会社は窮地を脱することができました。

 

商品開発する前は、生地を裁断する職人さんの仕事が全くなく「草抜きでもしましょうか?」という状態でしたが、その後は生地を切っても切っても追いつかないようにまでなりました。

 

苦労しましたが、窮地からの自社ブランドの開発が、弊社のターニングポイントになりましたね。

 

 

【後編】ネット販売で雨合羽ブランドの価値を高めるにつづきます。

 

※尾﨑産業株式会社さまのHPはこちらから。

 

 

 

 


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